【コラム】改めて気づくオープンワールドの変化

2018年10月28日

どうも皆さん、無免許ゲーマーのあた坊です。

 

昨今、ハイエンドゲーム界でかなりの割合を占めるオープンワールド。

私もオープンワールドは大好きで、初めて遊んだGTA3からゼルダの伝説ブレスオブザワイルドまで、海外日本問わずいろいろとプレイしています。

なんといっても、「自由」ですよね! そこに世界が存在している、生活があるというリアルな感覚がたまりません。

 

あれ?でも昔って本当に自由だったかな?

今回は、当たり前のグラフィックやマップの細かい作り込み具合の話ではなく、ちょっと違った観点からオープンワールドの変化を考えていこうと思います。

 

進めない「壁」の存在

先日、久しぶりに初代アサシンクリードをプレイしていたんです。

町の中で走り回っていたんですが、そこで、製作者が意図的に作る「壁」に出会ったんです。

画面の右側に存在する、「ストーリーの進行上、今はこれ以上は進ませねえぞ!」っていうアレです。

なんだか懐かしい気が笑

 

GTA4は特に顕著で、ストーリーを進めていない場合次の島への入り口は警察官によって封鎖されており、無理やり突破すると…

 

なぜか手配度がMAXになり、警察から集中砲火を浴びる始末…

 

ふと思ったんですが、最近のオープンワールドってほとんどこの「壁」ってないような気がしたんです。

アサクリの場合はアニムスという機械で先祖の記憶を追体験しているという設定上、メモリーの範囲外だとか言っておけばそれっぽくなるんですが(こういうところはさすが)、GTAは特に設定もなく理由もない

RPG(ポケモン等)で進行上、住民のわけのわからない理由で先に進めない現象とは明らかに訳が違うんです。

 

 

ストーリーは「プレイヤーに進ませるもの」から「プレイヤーが作るもの」へ

そういう意味でもGTA5は本当に進化した作品だったんだと思います。

製作者側の意図による理不尽な介入がなくなったわけですからね。最初から好きな場所に行けますし、主人公の3人がそれぞれ島の別の場所からスタートしているくらいで。

 

そういう部分を見ても、オープンワールドは、

一本道で今までやらせていたことを、広いマップで小出しにしながらやらせる

というものから、

基本的なメインストーリー以外はすべてプレイヤーの自由、その世界自体を丸ごと楽しんでもらう

という、本当の意味でのオープンなワールドになったのかなと思いました。

 

 

できるだけ「ゲームっぽさ」を排除する

「壁」という存在は、徐々にクリアしていくとそのご褒美として世界が広がっていくという、ある意味ゲームの定石にのっとった形と言えるのではないでしょうか。

 

しかし、昨今のゲームは超美麗グラフィックに広大な世界が当たり前の時代。そしてそれも含め、いかに「リアルか」が求められている気がします。

どこまで現実のように見せられるか。体力ゲージなどの余計なUIを排除していくのもそのためでしょう。

ユーザーが求め、制作側が作りたいもの。それが変わっていくならゲームも変化していくのは当たり前で、その中の一つが「壁」といういかにもゲーム的な存在の排除だったんだと思います。

 

 

まとめ

昔の例として挙げたGTA4ですが、当時はそんなの気にすることもなく、逆に支配度MAXの中どこまで逃げられるかをよく友達と競っていました笑

アサシンクリードシリーズも、2からは街自体を魅せる「観光」としての側面も強くなり(壁はまだありましたが)、最近のユニティ(パリ)やシンジケート(ロンドン)は完全に自由で、好きなように遊んでいける形になっています。

 

そんなことよりなにより、シリーズ最新作アサシンクリードオリジン楽しみですね!

10月の発売日までに遊んでなかったシリーズ作品をすべてプレイし、エジプトでの戦いに備えたいと思います!